恐らくこれはデザインではない、とも言えるし、恐らくこれもデザインである、とも言える。そういうものたちをよく見かける、というか最近良く目に付くなぁと思う。
これはきっとセンスのいい人が、こんな感じでどうだろう?と思って、決めた色なのだろうと思う壁とか、ここにこれを置いたらいい感じなんじゃないかな?と感じて置いたのだろう花瓶とか。
図面にもパワーポイントにもイラストレーターのデータにもならないまま、ただその場で検討され、実現された素晴らしい何かを、果たしてデザインと呼んで良いものか、より相応しい何か言葉があるんじゃなかろうか、そんな問いを、素晴らしく青く塗られた壁の前で思い、これを書いている。
デザインという座学を学んだ人からすれば、それはきっとデザイン足るべき工程を経てなどいないと明白なのだろうなと思う。音楽を理論から学んだ人のピアノと、そうでない人のピアノでは、同じ曲を美しく弾いたとて、確かに何かが全く違うという話然り。
調理を技術として学んだ人の作る美味しいスクランブルエッグと、誰に教わるでもなく上手くなり美味しく作れるようになった人のスクランブルエッグとでも、きっとその味わいは違うだろうし。
いずれにせよ、デザインであろうとなかろうと、この美しいものは一体どうして生まれたのだろうかとか想像する時、そこに誰にでもわかる、誰しもが学んだような理論があるだけとは、到底思えない。というか思いたくないのだろう僕の所在を今日も確かめ眠るとする。
本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。最高に格好いいデザインをつくるデザイナーも知っているし、最高にイカした内装をつくるおじさんも知っているからこその、困ったもんです。