場所の話

うちの近所に、店主の親切で僕の詩集を誰でも読めるようにと置いてくれているコーヒースタンドがある。

コーヒーは美味しい、店主の人柄も素晴らしいとあって、週末にはもう近所の人達がこぞって通うよいお店。

僕はというと、もちろん週末にも赴くけれど、平日の、殆ど誰も居ない時間に訪れて、いつものドリンクを頼み、黙々と文章を書いたり、置いてある自分の詩集を読み耽るのが好みの過ごし方だ。

他人の作った場所で、ちゃんと独りになり、心地よく過ごせるというのは、案外作ろうと思ったとしても、本当に難しいことだと思う。

このコーヒースタンドのように、店主がその殆どを切り盛りする場合にしても、あるいは人を雇い、大きなお店で大勢と相対する場合にしても、だ。

それは、はっきりとした論理が存在するわけではない、例えるならそうだなぁ、恋愛のような、人付き合いのような、柔く、それでいて気をつけて触れなければこちらが怪我をするような、それ故に面白く、話の種に永遠となる、そんなもの。

だからよく間違える人もいるし、誰かを不安にさせたり、傷つけたりする人も、いる。

他人の作った場所が、自分にとっての安らげる居場所になりうるかどうか。逆も然り。その問いに自分なりの答えを見つける道のりは険しく、もう行きたくないなと思う場所、会いたくないなと思う人ともそりゃ出会うけれど、その全てを肥やしにして、自分は自分の作る場所をよりよく耕していく。

そして僕もあなたも、誰かにとっての場所足りうるのだということも忘れずに、生きていく。

本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。人は、人を癒やすよ。人は、人を傷付けるよ。いずれの場合も大事なのはその後、どうするかだよ。それ故に、「ありがとう」と「ごめんなさい」ほど大切な言葉を、他にあまり知らないね。