自分、部屋、本、ギター、ピアノ。

どうやらやはり朝六時には目覚め、シャワーを浴びて珈琲を淹れる。

荷解きは終わったものの、部屋の片付けに終わりが見えないまま引き続き取り掛かる。

まだ八時か、とかまだ九時か、などと思いながら、色んな、本当に色んな思い出たちの詰まった物たちを部屋の四方に振り分けていく。

シアトルで聴き慣れた曲たちを部屋に心地よく流しながら、時折麦茶や珈琲を飲みながら、取捨選択を繰り返していく。

スタイル、というものは服装や髪型はもちろんのこと、部屋にだって宿る。そこには恐らく、僕の作る物事や書く文章にも通ずる物があるのだろうなとも、自分の部屋を改めて整えていくうちに思う。

これはいる、ここに置く、貼る。これはいらない、捨てる。そんな小さな決定を数多積み重ねて完成していく部屋。そりゃそうだ、この空間も確かに僕のスタイルを反映している。

物が多い。本も多い。自己啓発本やハウツー本は無く、ビジネス書とアートの図録や展示録、詩集や漫画、英字の書籍たちの狭間に小説が小気味よく居座るいつかの小さな本棚。

壁にはミュージシャンのポスターから何かの記念の領収書、いつか俳優さんから貰ったサイン、大きな油絵、海外のカフェのスリーブ、ポストカード、写真、その他諸々。

本棚と机の間に立て掛けられた、ケースに入った三本のギター。学生の頃に買ったムスタング。中古でも高かった黒のアコースティックギター、日本製。シアトルで買った美しい木目のもう一本のアコースティックギター。

一ヶ月弱のアメリカ滞在中、やたらとギターやピアノを弾くことが多かったなぁと思い出す。家では久しく弾いてなかったにも関わらず。新しく弾ける曲が増えたりなんかもした。

自分でも少し驚いたけれど、あぁやっぱり僕は音を奏でたがっているのだなとそんな自分を眺めて改めて思う。ギターもピアノも、もっと沢山弾こうと思う。

本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。誰のためでもない、自分の時間を過ごしています。