世界と今日の遠さについて

書き始めたはいいものの、なんだか上手く書けなかったり、そもそもちゃんと書き切ろうという気がなくなってしまったりした書き途中の言葉たちというのが、それはもう、かなりある。

それらはきっと今後も日の目を浴びることは殆ど無いのだろうけれど、確かに僕の思考の欠片ではあるわけで、幸運にも僕の話を聞いてくれる人がいたときには、きっとその都度その時々の考えていることとして言葉になって出ていくのだろうなと思う。

けれど恐らく、そういう明文化もされず、公表もされない、書き起こされない言葉たちの方がよっぽど世界を今日を作っているのだろう。

一握りの人たちが語った言葉たちが書き起こされて焼き回されて確かに世界は回っていて進んでいるのかもしれないけれど、例えば僕のあなたの今日という一日は僕やあなた、そしてその周りの方々一人とひとりの交わした言葉で出来上がってる気がしてならない。

そういう意味では、世界って呼ばれるやつと、僕やあなたの今日ってやつは、相当に遠く離れた場所にある気もしてしまう。何十億の今日があって初めて成り立つ世界なはずなのにね。変なの。

本日も落書きを読んで下さり有り難う御座います。大学生の頃に学んだ物理学でも、確かにマクロとミクロでは成り立つ法則が違っていたのを思い出す。シュレディンガーの猫の話を思い出す。