疑問符という名の志

電車の音、親子の会話、
クーラーの奏でる風の音。

炎天下を往く自転車のペダルも、いつかどこかで生まれ変わって、楽器になっていたりして。

道行く人の着ている服も、どうか未来で別の誰かの纏う素敵な衣になっていたりして。

吸い込んだ風が僕の身体を巡ってやがてまた風になってどこかへ行くなら、僕自身もやがてはきっとそうだろう。

目に見えるすべてを真実とするのなら、真実とは目に見えるすべてのことを言うのだと思えてしまうこの瞳で、見えない風を心を愛を未来をどう捉えよう。抱きしめよう。

その術を知りたいがために、僕等は時に目を閉じ音楽を聴くのかもしれない。誰かの声に耳を傾けるのかもしれない。

音が今日も僕等に語りかける。
肌触りが香りが味が、今日も必死に勝手に伝わってくる。

「人生をかけて」なんて言葉が要らないくらいに、僕もあなたも、アスリートもお父さんもお婆ちゃんも兄弟姉妹も犬も猫も鳥も亀も草木にしたって、勝手気ままに全身全霊、今日も今も、ここにある。

目に見える見えないすべてを受け止め、ここにある。

本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。人生を比べようとする全ての言葉に、命を時間を目に見えるものだけで量ろうとする全ての態度に、勇気を持って疑問符を。