お裾分けを貰った。
お菓子ともちょっと違うし、果物でも無く、すぐにそれを楽しむにもその日は結局時間が無くて、まだ大事に部屋の机の上に置いてある。
今日の夜、使えるかな飲めるかなと思って今を過ごす。
大袈裟かもしれないけれど、「楽しみ」を抱えて過ごす小さくて綺麗な時間、というやつである。「である」だってさ。ははは。
毎日何か、小さくとも確かな「楽しみ」を持って過ごせたなら、それはもう幸せな日々だろうとつくづく思う。
ということは今掌の上に乗っているかのようなこの「楽しみ」は、机の上で僕を待つあのお裾分けは、目に見える数少ない、幸せの素みたいなものなのかもしれない。
なんと尊いお裾分けなんだろうか。
いやそもそもの、お裾分けそのものの、尊さよ。
本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。
掌サイズの幸せの姿形を愛でる夜。
味わい夜が更けていく。