夜な夜なひとり作って公開したTOMOSHIBI POSTが気付けば3周年を迎えていたという事実に驚きを隠せないまま家路について、深夜0時を回ったところで漫画「ブルーピリオド」の最新刊を読んだ。
そしたらもうそれがとんでもなく良くて、一体この身体の中にある感情や感覚のどれから手をつけてあげればいいのかわからなくなったままこれを書いている。
なんなら家に帰る電車の中ではまた別の本をさーっと読んでいたもんだから、それについての感想も思考も、まだこの身体の何処かに残っている気がして、なんだか更に居心地が悪い。
あぁそうだよな。
もうあっという間に過ぎ去ったものたちも、この自分の中のどっかにこんな感じでほんとは残ってたりするもんなのだよな。
他人から見たらもっときっとそうだ。
そんなにしょっちゅう会うわけじゃない人からしたら、その人が眺めた僕で僕の歴史はきっと殆ど止まってて、その人にとっての僕はきっとまだまだ色んな幼かったことやその当時やってたことや言ってたことがちゃんと残ってるんだよな。
「人は差分にしか興味が無いんだって」っていつか誰かが教えてくれて、その時はなんだか、変わらないものの良さとか大切にしていたい気持ちとかにはじゃあ価値がないのかなって悲しくなったけれど、そっか。変わらないものがあるから、変わってくことに気付けるんだよなぁ。
変わらない僕を持ってくれているから、変わっていった僕のことが分かる。
昔のあなたのことだって少しは知っているから、今のあなたのこともちょっとはよく分かる。
差分て、「A − B = C」の「C」のことだと思ってたけど、どうやら「A − B」の方のことなんだと今なら思える。
本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。願わくばAの側にずっと居たいし、居てほしいよな。