カルシファー

灯火がついているのだと思うのです。ずっと。
それが消えかかることもあれば、とても強く燃えていることもあって、けれど総じて、大した大きさではない。それひとつじゃキャンプファイヤーなんてできないし、お祭りなんてもってのほか。

儚い灯火が揺れている。ただ一人か二人は、暖められる程のもの。ただ、足元の夜道、次の一歩くらいまでは見える程度のもの。そういう光が、ついているのだと思うのです。

その光が好みで、集まってきて、時折自分のものにして持って帰ろうと企む人がいたり、或いは暖をとり、薪をくべてくれて、雨風を一緒に凌いでくれる人もいて、そういうことの繰り返しを経て、ゆらゆらと確かに燃え続けている。

気づけば同じような灯火たちが集まって、とても暖かい場所になっている、なんてこともある。あったかいね、あったかいねと笑い合って、一緒になって過ごす灯火たち。

強い風が吹いて消え掛かったりしても、互いに薪をくべあったりしてやり過ごす。雨が降っても、一人で耐えるよりもずっと楽しく、きゃーきゃー言いながら凌いでいく。

きっと誰かにとっては眩し過ぎたり、暑すぎたりしたりもして、けれど誰かにとってはとても居心地がよくて、やっと見つけた、ここだったんだ私の居場所はって、思えたりもする。そこから火の粉を少しもらって、旅に出る人もいる。

そして今日も、燃え続けている。
灯火みたいな僕らなのだと思うのです。

本日も読んでくださりありがとうございます。勝手に燃えているのだから、そりゃあ誰かにとってはいいことであったり、悪いことであったりも、するはずです。そりゃあもうね、お互い様ってやつですよって互いに程よい距離感で、ゆらゆら燃えて参りましょう。