何年も前に撮った写真たちを見返さなければならない機会があり、デジカメで撮った写真のデータをパラパラと眺めていたんです。
するとやっぱり、あぁこの頃はこういう服を着ていたのか自分はとか、あぁこの頃はこの街のあそこへは行ったことがなかったのだなとか、今と比べるとずいぶん青いと思える自分と再会します。
今にしたって、ここから数年先の未来から見れば、やっぱりこういう風に少し小っ恥ずかしいというか、若さみたいなものを感じるのだろうかとか考えてみるものの、まぁそれも面白いなとか思って終わります。
そういうときに、場所を持つというのはいいことだなと思うんです。過去も、今も、そして願わくば未来も、場所は私と共にある。時には、変わりゆく世界を定点観測できる場所として、時には私と共に変わりゆく、歳を重ねていく存在として。
いつかの私が写真に収めた場所が、今の私も過ごす場所であるという幸福。そして未来の私も過ごす場所であれたならという幸福。
過ぎ去った日々、立ち去った場所。私の元からもう遠く離れた物事。これはその切なさを思うが故の、考えた幸せについての話だったのかもしれません。
本日も読んでくださりありがとうございます。共に終わりまでゆける人が、場所が、物事があるとするのなら、それはどんなに幸福なことだろうかと、思う。