幸せ者としての覚え書き

「まだまだだなぁ」とか、
「全然理想と現実は違ってて」とか、
僕が言うことでは無いんじゃないかと、
最近は思うんです。

僕が経営者として、起業家として、
詩人として、一人の人間として、
抱えている苦労や辛さはもちろんあります。
日々ありますよ。でもね、それと同時に、本当によく、
「よくここまで来れたなぁ」とか、
「よく今日も生きたなぁ」と思うことも沢山あるんです。

それらを棚に上げてというか、
奥の部屋に隠して、あるいは床に置いて、
経営者らしい苦労話や、
起業家らしい挑戦と傷跡を抱えてあなたに語るのは、
何か違う気がするんです。

苦労話は確かに面白いし、
誰も経験したことがないだろう僕らの挑戦と失敗には、
聞く人にとって感動さえ与えるものかもしれません。

でもね、それを語るなら、それと同じくらい、
今ここに至れた奇跡と努力の数々と、
出会いと笑顔の全てもあるんだよって言いたい。
むしろそっちの方がよっぽど知ってほしい。伝えたい。
涙を流して感動してもらうよりも、
驚きと笑いと共に楽しくなってほしい。笑ってほしい。

どんな映画も、
書き途中の物語の一番悲しいところまで書いたからって、
そこまでで上映会はしないもんなぁ。

途中経過から伝えていくことが、
なんだか流行っているよなぁとも思うけれど、
できれば僕は、全部が終わった後にちゃんと成功だろうと失敗だろうと描き切って、どっちみち笑顔で最後はハッピーエンディングの物語にしたいなぁと思っています。そういう物語を伝えたいし、残したい。

というか既にここまでを切り取ったとて、
たくさんの喜怒哀楽が故にハッピーエンディングの物語ですよと、
僕は言いたいのです。言えると思うのです。

もちろん、本当に悲しことも、辛いこともあるけれど、
そういう時も話を聞いてくれる仲間がいて、友人がいるのだから、
そりゃそれも含めてこの物語はハッピーエンディング、
そしてきっとハッピーエバーラスティングなんです。

このことをちゃんと、どん底の日も、
自分よ覚えておいておくれよと願っています。

本日も落書きを読んでくださりありがとうございます。大変さについて、苦労について、もちろん尋ねられたら答えるし、純粋に自ら語る時もあると思います。でもそれも含めてどんな時も、今ここで生きていて、美しい景色をみんなで作り、素晴らしい人たちと出会ってきたという事実はいつだって変わらずこの命に刻まれているのだと、強がるわけでもなく、気を使い語るわけでもなく、その幸福を素直に抱きしめ伝えられる自分でありたいなと、思うのです。そんな自分が、格好良いなと思うんです。