翌朝

目覚めては浸っています

朧気になっていく光景

一つひとつ

どうすることも出来ないまま

過ぎ去っていきました

世界はどうやら

私無しではわかりません

眺めていぬ間に

何処かへといく気がなんとなくしています

けれどそれも

確かなことではありません

なぜならば

私がそれを見つけることはできないからです

我思う故に我ありと

はるか昔に言葉が生まれて

今ここで

我思う故に世界があるのだと

呟くひとりが生まれました

私の知らぬ間に

今まさにだって

目まぐるしく世界は移ろっているじゃないかと

言う人もいます

けれどもそれは

点と点

過去と今とを

なんとなくの線で結んだにすぎません

見続けた人にしか

居続けた人にしか

挑み続けた人にか

その線のように連なる数多の点は

今という確かな点は

繋げません

故にまた

遥か昔

今を生きよ

カーペディエムと

言葉が生まれたのだと思うのです

シーズザデイ

今を掴めと

言葉が生まれたのだと思うのです

そして今ここで

今を描けと

呟くひとりが生まれたのです

本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。どうすることも出来ずに去った時間だと思っていたら、どうやらちゃんと、今に至るまでの道のりという線を、描いていたのだということ。