私たち
何に頼り生きていくのか
私たち
何を確かに生きていくのか
私たち
何かを必死に掴もうとする
私たち
洪水みたいな言葉の滝へ
自ら飛び込み繰り返しては
何かを必死に掴もうとする
私たち
多忙を隠れ蓑に
仕事を理屈に
感性を奥深くへと追いやったのか
私たち
笑われるのが嫌だといった
私たち
誰かを笑ったのも
ただ自らが笑われたくなかっただけの
私たち
風が吹き抜けてゆく
時代が透過してゆく
私たち
どこへゆくのか
どうなりゆくのか
何を真に蓄え
何を肥やしに
存在を証明するのか
生きていくのか
私たち
知る由もなく
今この時も寿命を刻み
生き様を探り
求め合う
私たち
本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。幼い頃の豊かな感受性を閉じ込めたのは他人かもしれない。けれどそこから再び引き出し、表現に至るならば、愛する未来が訪れるなら、それは紛れもなく自らが故なのだと、思うのです。