カルチャーショック

英語、日本語、韓国語。何れにしたって生まれた時には誰も何も持ってない。ただ偶々生まれ育った場所が人々が、教えてくれた言葉たち。

フランス語、スペイン語、中国語。何れにしたってどれも誰も、拒んだわけでも選ばなかったわけでもなくて、ただ其処になかったから知らなかっただけの言葉たち。

言葉の前に、人である。
文化の前に、人間でしょう。

そんなことも忘れて、
もしくは知らずに、
思わずに、
優しさを持ち合わせないなんてこと。
あるんですね、
あるんですよね。

人によっては、
場所によっては、
あるんですよね。

どうしたらいいんだろうな
どうしたらいいんでしょうね

空を眺めて
考えています

本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。英語が話せて仲良くなった人々と、韓国語が全く話せなかったけど肩組んで沢山話して笑い合えた人々と、日本語なのにとても冷たい態度を取られた人々に、一日の内に会ったのでした。これもまた、カルチャーショックというものでしょうか。どうしたもんでしょうか。