「話す」といっても色々ある。
会話するのが上手な人と、人前で話すのが上手な人では、大分やっていることが違うと思う。
人の話を聴くのが上手い人と、人前で座談会を回すのが上手い人とでも、やはり大分違うことが上手いのだと思う。
そしてこれは先天的なものでも、一朝一夕で身につくものでもなく、磨かれていくにはそれ相応の時間や経験が必要だとも思う。
故に、会話が上手くなることも然ることながら、人前で話すことや、独りで何かについて論じることといった、日常生活で望まなければ経験することもそんなに無いであろう「話す」ことは総じて上手くなるのが難しい。まぁみんなそりゃあそうでしょう、という具合だからこそ、司会者なりファシリテーターなり、インタビュアーなりの腕の見せ所だったりするものがあるのだ。
会話はよく、キャッチボールという。
互いが、もしくはみんなが楽しく心地よくなるリズムやいいところにボール(言葉)を投げる。
それに引き換え、人前での会話、座談会や発表はバッティングだなと思う。来た球(お題や問いかけ)をいかに芯で打ち返すか。時には投打入り乱れた真剣試合になったりもする。
キャッチボールは、誰が誰とでもできるそりゃもちろん上手い人とやったほうが楽しいだろうけれど、プロ野球選手が小学生とだってできるし、お爺ちゃんがお婆ちゃんとだってできたりする。
けれど試合やバッティングは、互いの力量がある程度近くなければ難しい。消化試合、コールドゲームになったりして、見ている側も楽しくはなくなってしまう。
何を考えていたかというと、「話す」のが上手くなりたいと一重にいっても、それはキャッチボールが上手くなりたいのかバッティングがうまくなりたいのかでも違うし、「話す」舞台や相手によっても違ってくるよなぁということでした。
いずれにせよ、自分の力量が今どのくらいかを知り、努力するにも、色んな人と色んな場所でキャッチボールをして、色んな試合で打席に立つことの大切さは変わらないのだけれども。
本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。大事なのは、ちゃんと階段を登るようにレベルを上げていくこと。つまりやっぱり、日々なのです。