不足を知り尚

そもそも世界は言葉でなんて出来てやしないので、書くのだと思います。描くのだと思います。

そりゃ一言二言書いたくらいで分かることがあったとして、そりゃそもそもその程度の深さ広さ繊細さのものなのかもしれません。

ひたすらに書き続けて、あの手この手で描き続けて、表し続けて、ようやく輪郭がわかり、腑に落ち、伝わるような、難解で繊細な宇宙なのだから、書いたって書いたって、文字も数字も絵画もCGも、そもそも足りないことを知っている元、生み出し続けていかねばならぬのかもしれません。

世界を、目の前の出来事を、自らの手で変換し、伝えようとするからには、水が氷になるように、食べたものが血肉に力になるように、そこには自ずと変換率が存在していて、それは努力を工夫を凝らさなければ改善されるものでもないので、こうして今日も四苦八苦しては試みる人がいるわけです。

本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。伝える必要もないくらいに、愛してしまえばいいのだとも思うんです。ただ共に過ごす人と物事を、大切に生きていけたらいいのになとも、思うんです。