天才的な未来はさ、

結局のところ、一日二十四時間を最も効率的(と頭で理解、認識できる程度の効率的)に活用したからと言って、それが見事な結果に繋がるような物事で、世界はこんなに目まぐるしくは変わっていってやしないんだよなと思える。

寝る間も惜しんで働き続ける人は確かに世界を回してはいるし、支えてはいるのかもしれないけれど、真新しい未来はやっぱりそこからなかなか芽生えては来てないんだろうなと思う。

ハッと、パッと、ちゃんと寝て、ちゃんと食べて、ちゃんとぼんやりしていた誰かが、思い付いて、思い返して、考えて、話して、作って、始まる。

誰も知らない所で、誰にも知られることなく、始まる。

そういう未来が沢山あるんだよなって、今ならちょっと、わかる。

そういうとき、根性論じゃないし、覚悟がどうとかって話でもないし、論理なんてほんとにどうでもいいんだと思う。

突然変異みたいに、けれど確かなそこに至るまでの流れがあっての確率論みたいに、真新しさは今日もどこかで生まれている。

努力は報われるって、それは努力が報われるようになってるレースに出た場合に限るよねって、誰も教えてくれなかったから書いておくね。

何かを突き詰めていくときに、努力を努力だと思ってない人たちが沢山いて、だからこそ自分にとってのそれが何かを見つけることこそが、最速で、誰よりも一番に先頭で風を切って走っていくために必要なことなんだって、誰も教えてくれなかったから書いておくね。

本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。夢中になっちゃうものを見つけたときの、高揚と絶望。あーあって思う。ゲームにハマっていくみたいな。