THINK WORDS

言葉は、読み手の状況、ひいては心境に寄って意味を変える。

定義、辞書的な意味から来る意味合いとは別に、個々人の持つ物語、人生の一節によって、その情緒的な意味は変化する。

そのことを、僕自身が書いた言葉を読む人、その一人ひとりが届けてくれる言葉たちから教わった。

言葉とは、世界を定義などし得ないんじゃないか。

それはつまり、言葉とは自由であり、一人ひとり読み手の解釈により変わりうるという真実を意味している。

言葉の意味とはそういう意味では、会話や会議、協議、相談などの二人以上のやり取りにおいて、殆ど常に多数決で決定している。それが一般的な意味とか解釈、倫理観というやつだったりもする。

それが言葉というものだとも言えるけれど、言葉が豊かで奥深いのは、そんな論理的な、数学的な部分ではなく、情緒的で詩的で、理屈など無いかもしれない私的な物語を表現する手段として使われ、書き手から離れ、読みて一人ひとりに意味が委ねられる点だろう。

これは私のための詩だ、
これは私のために書かれた歌詞だ、物語だと読み手が思うなら、それはその時その通り、あなたのための意味ある言葉たちになる。

豊かな言葉とは常に人々に開かれていて、
求める誰かを待っている。

それはつまり、読み手も含めた、その言葉を取り巻く環境が巡り巡って、その言葉にとって最適な環境に至ることを待っているとも言える。

そう考えると僕らは言葉にとってのよりよい環境をもっと作っていける気もする。

書籍やオンライン上だけではなく、もっともっとそれぞれの言葉に適した環境を、僕らは試行錯誤し作っていける気もする。

本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。言葉は常に、読み手と書き手の文脈をまとっているという話もそのうちしたいです。