忘れた景色が証明している

毎日やってること以外、
意外と忘れてってる僕らです。

遠くの街へ行こうものならそれはもう、
思い出さなきゃならないことと、
覚えていかなきゃいけないことが山のようです。

きっと乗ったことのある電車、歩いたことのある道だったとしても、思い出すには少し時間ときっかけが必要だったりするもんです。

尽く、僕らは今ここを生きているということの証明として、忘れているのだとも思うんです。

覚えていることにも鮮度はあって、鮮明に覚えていることと、ぼんやりと覚えていることがあって、それが故の過去から未来へ伸びていく一直線の上の僕らなわけだから、仕方ないよね。

ぼんやりとしてしまったあの旅先の絶景も、もう顔もあんまり思い出せないあの時の君も、紛れもなく僕が前へと未来へと向かっていっての今ここの確からしさを認めるものなのだと思うから、きっと悪いことじゃないはずなんです。

本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。今ここは、今までの全ての果ての今だということ。小さな自分の、かけがえのない歴史の上に、立っているのだということ。