私の有無に関わらず
歩いていける言葉たち
言葉の有無に関わらず
笑い合える私たち
覚束無いまま
言葉も私も揺蕩っている
どちらが正しいわけでも
どちらが先なわけでもなく
ただ互いに繋がり
関わり合って
生きている
時として言い難いこと
伝えづらい言葉もあり
悲しさや嬉しさ
切なさや恥ずかしさが故なのだと
誰に教わるでもなくわかるから
その時強く
言葉と私は連なって
同じ時間を共にしているのだと思える
本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。言葉と自分が一致しているときにこそ、人と人とは見つめ合い、時は止まりうるのだろうなと思う。