谷川俊太郎が書いた校歌を歌って育つって、一体どんな感じだろう。
そうやって歌われ継がれていく歌を言葉を書くってどんな心地だろう。
いつか味わってみたいなぁって大真面目に思って気付く、これを夢の一つと数えてもいいんだろうか。いいんだろうな。
いつの間にやら過ぎ去っていく、年老いていく日々だから、僕は僕がどんなか、あなたはあなたがどんなかにだってきっと慣れに慣れていき、近々本当にどうでもよくなっていっちゃって、気付けば変わらぬ気がする自分ばっかり守ろうとして、今まで持ってた持ってきてた夢とか希望の類も忘れてっちゃったりもするんだろうか、そうなんだろうな。まぁ仕方ない。
まぁ仕方ない、そしたらいいよ僕はもっと、新しい夢も希望もこしらえて、もしかしたら昔抱いた夢に似てたり、あなたと願った夢と何処かおんなじだったりするかもしれないけれど、別にいいから叶えていくよ。その先々で、新しいあなたと出会って愛していけたらいいなと思いながら願いながら。そういう自分だけは、ちゃんと守っていけたらいいな。いきたいな。
凝り固まって小さくなってく古くなってく自分はあまり要らないけれど、自分らしく緩やかに循環していく新鮮さは、ちゃんと内に抱えてこれからも生きていきたい次第です。
そして願わくばそんな人と、そんなあなたと、生きていけたら幸いです。
本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。ずっと持ってくことが正しいわけでも、ずっと同じことを抱えて生きていくのが良いことなわけでもなく、何度持ち直したって、何度色々変わったって、ちゃんと今ここで大切に抱えている何かを誇れるかってことだと、思うんです。