一眠りしたくらいでは消えてなんてくれない疲れと共に、落ちていった心持ちのまま起き上がり、街へ出る。
どこへ行ったら救われるのか、何に到れば幸福なのか。
いつか繋いでいた掌も、きっといつか握れなくなる日がくるって僕らみんなわかってたんだと今ならわかる。その繰り返しが人生だって、今なら少しはわかる気がする。
言葉は絵具だと思えば、こんな言葉たちで絵を描いた僕が意味するところは意図したところは、別にこの言葉たちの意味そのものではないとも言える。絵が、そこに含まれる色合いのみで意味を定められるなんてことがないのと同様に。
こうしていつもより重い自分と共に歩きながら、人に会い語らいながら、いつものカフェで注文をしながら、いつもより重く深い思考を背負いながら、今日も夜へと向かっていく。
その道すがら、こういう今日こそ美味しいものを食べようと思って入った美味しいお店で、温かいご飯を食べて、思わず少しざわざわ胸の下の方から込み上げてくる。
生きてんなぁって、今日も思う。
辛いなぁって思う日も、正直こうしてちゃんとある。
そしてちゃんと、美味しいご飯が救ってくれる今日もある。
生きて生きて、いつかこんな全てを肥やしにした傑作を、有無を言わせぬ名作を、書き残してやるんだって、思って今日を明日を生き抜いていく。
本日も落書きを読んでくださりありがとうございます。全部抱えて生きてくからこそ、心の底から笑える日が、抱きしめられる日が、ちゃんとあるのだと大真面目に信じたまま、この人生の果てまでいくよ。