できない自分がいたからこその

色んなことができるようになると、色んなことができなかった頃の自分を段々と忘れていってしまうのだよな。それは仕方のないことなのだと思うけれど、それは少し悲しいことでもある。

世の中を、何かができる人とできない人にわけるなら、一部の天才を除いた全ての人は、できない人を経て、できる人になっていく。なので、できる人を経験している人よりも遥かに、できない人を経験している人の方が多い。だってみんな最初はできない人なわけだから。そりゃそうか。

そこから何かできるようになっていったときに、大抵の場合僕らは嬉しい。そりゃそうだ、できることが増えたのだから。そしてそのできるようになったことで何かしたいと思ったりする。もしくは何かしたいと思ったから、できるようになったわけだ。

そうして段々と、できなかった頃の自分が必要になることが減っていく。あっという間になくなっていく。

それは別に悲しいことでも悪いことでも何でもなくて、そりゃあそういうもんでしょうと思う。

ただ一つ忘れたくないなと思うのは、できるようになっていく楽しさや嬉しさは、できない自分、できなかった自分がいたからこそ感じることができたのだということ。

できない自分のおかけで、できる自分へと向かっていけて、その道すがらの喜びを味わえて、できるようになった自分を敬える。

最初からできるというのと、最終的にできるようになったというのでは、できることは同じでも、いろんな違いがあるのだよなぁと、思ったわけです。

本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。まぁそうはいっても、最初からできるのって羨ましいなと思っちゃうんですけどねよく。あはは。