言葉という鍵の話

この半年で響いた言葉を思い出して欲しいと言われて、少し考えてみる。

思い出そうとするとまぁ当然のように近い記憶から思い出す。

遠い記憶はあぁ霞んでしまっているのだよなと改めてわかる。

それでもよいしょと腰を上げて、記憶の棚の少し高いところや遠いところの引き出しを開けてみて、そんな事があったね確かにとか、思い返す。

言葉が言葉だけであることなど、無いのだろうなとふと思う。それは僕が人である以上、逃れられない真実なのだろうなと思う。言葉があって、そこから思い起こされる記憶たち感情たちがどうしたってあるのだから。

そういう意味では言葉は鍵のような形をしている気もする。いつかどこかで見た聞いた感じたことが仕舞ってある物置への扉の鍵。あるいは、まだ見ぬ世界へと景色へと感情感覚へと繋がる扉の鍵。

言葉が言葉として、ただそこにあるだけでは、どうしたところで何も起きず何も変わらないのかもしれない。

いや、裏を返せば、言葉が言葉としてあるからこその、開く扉があるのだろう。

今日も書くということ、誰かと喋るということ、何かを聴くということは、どうやら扉の先の世界を垣間見るということでもあるのだろうなぁ。

本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。何を当たり前のことを、と書き終えて少し笑う。そしてあれ、この半年でのことを思い出すのをすっかり忘れてしまっていた。あはは。