ウェルビーイングと仲良くなりたい

ウェルビーイングという言葉を自分で自分たちのことを言ったことは殆ど、というかおそらく覚えている限りにおいて一度も無い。

無いのだけれど、「ウェルビーイングですね」と言ってくださったり、ウェルビーイングがテーマのイベントや企画に自由丁や僕を誘ってくださる方々が今までも時折いらっしゃったことは、はっきりと覚えている。

どんなに日々書いたところで、考えたところで、試行錯誤、切磋琢磨したところで、思いつけない言葉は無限にあり、自分たちだけでは得ることのできない視点というものが僕たち人類にはあるのだと思うが、ウェルビーイングという言葉は、いうなれば僕にとって、僕たちにとってそういう言葉の最たる例だったんじゃないかなと今になって思う。

社会を僕なりに真正面から見つめ続けた結果、「自分と向き合う時間」を提供してくれるサービスも場所も足りない、そのピースを自分なりの方法で埋められたなら、きっと社会はもっと、一人ひとりが素直に生きれる世界へと向かっていくんじゃないか、変わっていくんじゃないか、自由丁や一年後の自分へ送れる手紙という方法論、結論に至って今生きているわけだけど、そこまでの道のりで、一般的に社会で語られている単語、キーワードは殆ど出てこなかった。

要するに、僕の思考にはググらなければ分からないような、まだ辞書にもあんまり載ってないような言葉たちは殆ど出てこない。社会のことを常々考えているつもりなのに、今まさに社会で人々が口々にしている言葉たちや、少し前に流行ってもう忘れ去れれたような言葉たちは尽く僕の中には残っていないし、故に使わない。使えない。思いつけない。

だからこそ、「自由丁ってウェルビーイングですよね」と言われた時に、もうその言葉の響きから、とても新鮮に感じたし、社会をじーっと見つめて必死に生きてきたつもりだったのに、知らぬ間に社会というレンズで物事を見るのを忘れてしまっていたみたいな感覚になった。

自分の目で見て自分の頭で考えよ、とはよく聞くが、その一方で社会の目で見て社会の頭で考えることを忘れてしまうのも、考えものだよなぁとか、思いました。

本日も落書きを読んでくださりありがとうございます。ウェルビーイングという言葉と、もっと仲良くなりたいなぁと、時代を学び、社会をちゃんと見つめるためにも、思った今日の話でした。