先日、僕の個展第三弾が幕を閉じました。
僕の中では既に一人反省会が何度か開催されており、その度にあーだこーだと思うわけですが、一つだけここで言えることがあるとすれば、それは「詩人」というものについてかもしれません。
ここ最近特にですが、
僕は詩人と呼ばれます。
まぁ、詩を書いてそれでメシを食っているというのも嘘ではないので、誰かが僕をそう呼ぶのならそうなのかもしれないなぁくらいに思っていました。
ただよくよく自分のことを考えてみると、僕の中にも、「詩人とはこんな感じ」というイメージが尠からずあったようで、それに縛られて少しの間窮屈な思いを僕はしていたのかもしれないと思ったんです。
肩書、というものをもう長い間あやふやにして生きてきたものだから、その言葉の持つ意味に無頓着にいつの間にかなっていたわけです。
僕は、僕が思っていた詩人よりもお喋りで、寂しがり屋で、社交的で、暗い話は苦手で、くだらない話が大好きで、字もそこまで上手くないし、読書の量も人並みで、漫画もアニメも大好きで、新しいことをあれもこれもとやりたがるし、落ち着きはあったりなかったりだし、甘いもの美味しいものが大好きで、言葉が好きというよりは言葉もデザインも写真もラヂオもビジネスもテクノロジーもアートも興味津々な、紙とペンだけじゃ全く生きていけやしない、広い空も美味しい空気も珈琲も大好きな人達も生きていくには必要不可欠な、自由を愛する詩人です。
僕は今ある「言葉」というものの範囲で高みへ昇っていきたいというよりも、「言葉」の可能性を広げたい言葉の人です。
言葉は、もっともっと面白くなれる。
カフェの壁に物語を書いてみて、
薔薇に似合うエッセイたちを作ってみて、
布に言葉を散りばめ部屋を覆ってみて、
色んな人々に色んな呼び名で呼ばれてみて、
色んな人々と色んな言葉を書いてみて作ってみて、やっぱりもっと言葉は面白くできる。
そしてもっと言葉は世界を優しくできる。
そう思った次第です。
本日も落書きを読んでくださりありがとうございます。詩的な言葉で、世界にもっと優しさを。