結論という名の原風景

何もする必要のない日々のことをふと思い出してみたものの、脳裏にすぐさま「そもそも、何かをする必要が本当にあった日々などあったんだろうか?」という問いが浮かんだ。

今までやってきたことも、やらねばならぬと思って必死になって汗と涙を垂らして乗り越えた壁たちも、果たしてそもそも、本当にやらねばならなかったんだろうか。乗り越えなければ、その壁の天辺から空を眺めてまた歩き出さなければならなかったんだろうか。

「人生に意味なんて無いんだよ」と僕の目を見て語ってくれた友の瞳を思い出す。
縛られているようで、決められているようで、僕らが悩み苦しみ向き合い越えていこうとする殆どの物事は、そうじゃないんじゃないか。そうじゃないんだろうなと、今ようやく友の言葉がゆっくりと腑に落ちていく。

わからなかった言葉が、いくつかの段階を経て自分の中に染み込んでいくように。

やらねばならないと思っていたことが、実はやりたくてたまらなかったことだったのだとやがて気づく時が来るように。もしくはやる必要なんて本当は無いのだといつの日かストンと心がわかる日が来るように、日々僕らの無意識は思考は、宇宙のように無限に広がる脳という名の荒野を駆け巡り、やがて巡り巡って何処か見覚えのある、ひどく美しい結論という名の景色に辿り着く。

その景色の中を進んでゆく時、僕らはようやく、着たい服を着て、好きな音楽を仲間に、使いたい言葉を操り、好きな歩幅で歩き始める。

必要性の呪縛から、その樹海から抜け出した先の美しい世界で初めて、僕らは僕らの意味を知り、僕らは僕らに、あなたはあなたに、なるのかもしれない。

本日も落書きを読んでくださりありがとうございます。一行目を書き始める時に頭の中、というか掌の中にあった二行目三行目は確か、本当は必要なことなんて殆ど無いから僕らはすがるように何か習慣を作っていくんだろうか、みたいな話だった気がしたんだけどな。まぁ、いっか。なんだかそれよりずっと詩的になってしまったけれど、まぁいいや。これもよきなり。