詩やエッセイに、書き方みたいなものがあるのだろうかと考えている。
自由だからこその詩でありエッセイであるのだから、そこに書き方なんて方法論は不要なんじゃないか、と。
けれど自由をむしろ不自由だと感じて、書けない人が居るのだということも理解できる。
詰まるところ必要なのは、書き方という名の道順なのではなくて、書き方という名の杖、書き方という名の後押し、なのかもしれない。
詩の定義を調べてみたら、大して世界もよくわからないままここまで来たのだということがよく分かった。詩とは自由に楽しむものであり、ルールみたいなものは存在しないなのだと色んな人が誇らしげに書いていた。
よくわからないものが人は苦手で、よくわからないまま進むことはもっと苦手だ。
その点、詩やエッセイはまさに、なんだろうなとなんだか少し頷けてしまう。
ただそれでいい、それでいいからこそ、詩作とは常に自由であり、言葉を操り言葉を楽しむ人を表す上で欠かせないものでもあるのだとも思う。
毎日書くことを教えることはできないけれど、詩を書く楽しさを伝えることは、僕には少しできる気がする。
得体の知れないものと、少し仲良くなるような、新しい世界に触れて、少し自分が新しくなるような、そういう楽しさなら、伝えられる気がする。
本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。言葉のワークショップ、みたいな。