流行の私

間違いなく、流行というものはあるのだよなと駅のホームで待つ人々を見て思う。

同じフォルムに同じ服装、
色違いの髪に色違いの服に靴。

そういう風に、何かと同じに見えてしまう僕の目こそが鈍感になっていっているだけなんじゃないかとも思う。

異なる物事から法則性を見出したがる心持ちも、色んな物事を同じように捉えて安心したいだけの心持ちも、相変わらず自分の中にあることを思い出す。

今日見つけた法則を、明日僕等は容易に忘れる。
そしてまた違う法則を見つけては面白がって、また忘れていく。

その繰り返しこそが真に残り続ける法則で、だからこそ流行という言葉自体は消えることなく、その循環を僕等は楽しみ消費し続けているわけでもあるような。

流れ行く何かに気を取られ、あっという間に僕等自身も時の流れに流されて、気付けば自然の摂理の中の小さな終わりを迎えるのだということを思えば、自然にとっては僕等も一つの小さな流行に過ぎないのだとも言えやしないだろうか。

本日も落書きを読んで下さり有り難う御座います。まぁ要するに、ファッションも食文化もポケモンも呪術廻戦もTikTokも僕もあなたも、大海原の小さな小さな海流か、その中を流れ行くもの、だったりして。