嬉しくなる人

悲しいことがあったとしても、嬉しいことが同じだけあればトントンだろうと思いきや、そこに足し引きの概念は実は無く、悲しいことは悲しいまま、嬉しいことは嬉しいまま、ただ時間と共に色褪せていくのだろうと思う。

それでも、嬉しいことは確かに心を優しく暖かくしてくれて、今日はいい日だなと思わせてくれるから、誰かがなんの気無しに伝えてくれたひと言にせよ、自分に向けて微笑んでくれたひと時にせよ、その偉大さに感謝せずにはいられない。

何かが嬉しかったり楽しかったりするのは、実はそれを求めていた自分がいるからなのかもしれないと思うと、どうやら自分はまだまだ子供なのかもしれないとも思えてしまう。

全く、いつになったら大人になるんだろうかと考えてみても、別に大人になりたいわけでもないしなと思ったり、いやそもそも大人ってなんだ?とか考え始めてしまう僕はきっと今までもこれからも大して変わらず無邪気なまま、愛を求めた少年時代と変わらない気もしてきてなんだか少し笑える午後の光。

本日も落書きを読んで下さり有り難う御座います。大人ぶってる人よりも、子供みたいに無邪気に笑う人と過ごす方が嬉しくなるの、なんでだろう。