他愛も無い風景

他愛も無い話をのんびりしたいと思う自分と、カフェで隣に座った若い男女の会話がどうしようも無さすぎて遣る瀬無い気持ちになる自分。

そりゃあ他愛も無い会話をする主体的な自分と、誰とも知らない誰かと誰かが交わす会話が聴こえてしまう受動的な自分とでは、同じ他愛の無さでも似て非なる価値がそこにある。

そんなこと重々承知ではあるものの、それでもどうして、こんなにも会話というのはその内側と外側とでは楽しさが異なることがあるのだろう。

きっとこの違いにこそ、会話の、コミュニケーションの、信頼関係の、その他諸々人と人との秘密が潜んでいるに違いない。

かといってその秘密を解明するべく人々の、隣の方々の会話に耳を澄ます気分は特に無く、気付いたら眠気に襲われ、やるべき仕事の束を手に持ったままウトウトする自分。

本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。僕も含めてこういう光景、ありますよねぇ〜。あはは。