誰かが誰かを何かに誘って、
何処かの誰かに其処で出会って、
その結果として別の誰かに彼処で出会うことは無くなるのだ。
この当たり前を、切ないと思うのか、当然だと思うのか、それを運命と呼ぶのだ奇跡と呼ぶのだと語るのか。その言葉選びにすらも、この当たり前は含まれていて、だからこその私とあなた、一人ひとり違う人だと僕等は思い、語らい知ろうとするわけでもあり。
違うから、違いがあるから世界は美しく、儚く、愛おしいのだということを、もう少しちゃんと抱き締めて今この過ぎ去っていく時を寿命を征けないものだろうか。
優しくなりきれない自分自身も、好き嫌いの激しい社会という名の烏合の衆も、どうにか暫し、世界という名の同じ茶の間でわいわいがやがや和やかに寛いでくれやしないかな。そんな時は来るのかな。
誰に語り始めた処でわからぬ問いを、それでも語らい笑い共に楽しむ日々にこそ、そんな何でもない日にこそ、祝杯を挙げて生きていけたなら。
本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。幸せって何だっけって、立ち止まり思うことがあったとしても、思い出したり確かめ合ったりできるならいいわけで。大丈夫なわけで。