少し前の写真が友達から送られてきて、その中で自分が着ている服を見て、「あれ〜どこやったっけなぁこの服」と思う。
どこやったっけなぁとすら思ってあげられない服の存在の多さを、その時共にとても感じる。
捨ててしまったわけではない、けれど思い出せないことが、きっと僕等、とても多いのだ。
服に限らず、物であれ本であれ、人であれ、そして思い出であれ。
部屋の中、頭の中の、何処かの引き出しにはきっとちゃんと入っているけれど、例えば自分以外の誰かのふとした言葉や行動がなければ、はたまた季節の移ろいか、日常の大きな変化がなければ、自力ではなかなか辿り着けない引き出しを、その中身を、僕等は案外沢山持っているのだと思う。
同じ時間を共にしたとしても、その時間を手の届きやすい引き出しに入れる人も居れば、ちょっと梯子か何かが無ければ届かない高さの引き出しに入れておく人もいて、なんならそもそも引き出しへの仕舞い方も、その中身も一人ひとり違ったりするもんだから、僕等はそれを「なつかしいねえ」と言い合い笑い会えるのかもしれない。
本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。だから僕等、時折何時間もかけて出し入れしてさ、笑い合って懐かしがって、整理整頓するんだよね。