繋がりとしての言葉

言葉には力があるだとか、そういう話がしたいんじゃなくて、言葉が好きだって、その気持ちに心の底から寄り添える程に言葉を信じることも出来てなくて、あぁそれでもどうしてこうして書くのだろうねと思い悩みながらも今日も誰か生きていたりして。

きっと何かに悩んだ時のあなたや、誰かを思って苦しんだ時のあなたとも、似ている処もあったりして、それなら僕等最後まで独りぼっちだなんて話はほんとは実は無いのかもしれないね。

自問自答のような、
夜空と会話しているような、
足音に優しく弾き出されたような、
言葉たちと踊りながら、
並びながら歩いてゆく道での話。

夜空を照らす光とやらは、
どうやら星と月の役目のようで、
代わりにあなたも僕も、
夜を暖める役割を否が応でも担っているようで。

故に今日のこの白い吐息の理由とやらは僕にもあなたにも在り、それを繋がりと人は呼ぶのかもしれないね。

本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。言葉そのものを好むでも愛するでもなく、届く相手との、届けた誰かとの繋がりなのだと捉えてみてはどうだろう。言葉で繋がった僕等はきっと、時として言葉の非力さを知り、無力さに打ちひしがれながらも、伝えたい何かを思いの丈を、言葉を越えて伝えんとするだろう。その時ようやく、僕等は愛だとか好きだとか、夢とか希望とか抱き締めたい気持ちとか、そういう言葉に到底収まりきらない何かを綴ることの、伝えることの難しさと大切さを身を持って知るのだろう。言葉の不完全さと美しさを、知るのだろう。