有耶無耶の世界で尚

「あぁ疲れたな」とか、ぶっきらぼうになんの気無しに、言ってあははと笑える今日は何処へやら。

暇だから僕等こうして居る訳じゃなく、選んだ時間の産物として僕等こうして居る訳なんだと、いつになったら理解るんだろうか僕等人類。

踏切の音が何十年も変わらぬ理由、空の模様を描く人が絶えない理由、誰かが喫茶を始める理由、僕がこうして書く理由。

よくよく思えば、言葉にした本人も、それを受けた本人も、きっと理解ってなど無いその真意。

いつかあなたが流した涙も、僕の涙が枯れた理由も、きっと辿り着くのはこの自然の摂理と宇宙の真理。

そんな風に有耶無耶に、自然へ宇宙へ僕等の心の靄々を放って染まる今日の夕暮れ。

ただ眺めて、抱き合うだけで世界は優しくなるのだと思えた頃の陽の光。地平線へと落ちていった希望。思い出すのは隣の温もり。あぁあれを平和と呼ぶのだろうなと、今になって思う訳を知る由も無い僕等。

掌を流れる体温が、やがて僕をあなたを立ち上がらせる。前など理解らなくても連れていかれる未来の未来。立ち上がった自分だけが、確かな事と知りながら、吹く風に揺れる髪だけが確かな事と知りながら、選び辿り着いた今この時だけが確かな事だと知りながら。征く未来。

本人も落書きを読んで下さりありがとうございます。どんな問いへ対する答えもつまりは結局「わからない」が正解なのだと悟りながら、それでも語る言葉にこそ耳を傾け、信じていたい。