「自分らしくあるにはどうすればいいのだろう」と悩む時代に、「こうして私は自分らしく生きています」と語る人たちがいて、「なるほど〜」と思う人たちがいる。
問題には、明確な答えがあったら嬉しいわけではあるが、他のだれかが見つけた答えが本当に自分にとっても答えなのかは疑わしい。
なぜならそもそも問い自体、言葉としては同じ並びの同じ意味のものではあるが実は想像している、直面している問題は状況はみんなそれぞれ違っていたりするわけで、そしたらもう問題から実は違うわけだから、どうしてあなたの答えが僕の答えになりえるだろう。稀になり得ることもあるのだろうけど。
自分らしく生きる、ということに関して言えば、常に自分らしく在る人がもしもいたとして、その人は果たして新しい、まだ見ぬ自分とどう出会うのだろう、と思う。
自分の可能性とは、新しさとは、今の自分にとっての「自分らしさ」には含まれていないのだと思うと、「自分らしく生きる」って聞こえはいいがかなり意固地な言葉でもある気がする。
そういう意味では、
自分らしくない行動、自分らしくない場所、自分らしくない発言、自分らしくない選択。それらはきっと大変だったり、ちょっと嫌だなぁとか、緊張したり怖かったりするものばかりな気もするが、とても大事なものなのだと、思う。
色んなことを経験し、獲得していく新しい自分らしさがあって初めて、僕等は成長というものを実感できて、過去に意味を見出だせて、未来に期待を膨らませるんじゃなかろうか。
「自分らしく生きる方法」なんてものがあるとしても、それは実は今までの自分に頼りっぱなしな生き方だったりすることって、ありそうだよな〜と思った次第です。
就職活動や人生を考えるときに、僕等は自分らしさを過去の自分から見つけようとしがちだけど、実はまだまだ新しい自分に、未来に期待したっていいわけで、過去と等しく未来だってちゃんとあなたを作ってくれるはずだよね、と。
本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。これまでの自分で答えがわからないなら、あなたはまだ答えに至れる自分では無いのかもしれず、ならば未来の自分に望みを託してただ前を向き旅していくのも、今の自分にとってのれっきとした答えなのではないだろうか。