詩やエッセイの個人的に良いな、と思う部分の一つは「言いたいことを言えること」だと思う。
あぁ以前、ミュージシャン、シンガーソングライターが無性に羨ましく思ったことを思い出す。
愛してるも大好きもごめんねも夢も希望もチェンジ・ザ・ワールドも愛人の名前でさえも(LAYLA)、ただ語るだけでも話すだけでも億劫な言葉たちも全て、歌にしてしまえば心の底から叫んでしまえるような気がして。
あのミュージシャンもあのシンガーソングライターも、実際そうやって生きているような気もして。
未だにその羨ましさは僕の心の何処かに少し残ってはいるものの、詩やエッセイという書き言葉の自由を見つけた僕は、ただ誰かの作った歌を借りて歌っていた頃の自分がきっと羨む程度には、言いたいことを書けていると思う。
言いたいことを何故僕等はそのまま言えず、伝えられずに、わざわざ歌うのか、わざわざ書くのかと問われれば、それはきっと、その言いたいことが、伝えたいことが、言葉以上だったり、言葉だけでは不十分だったりするからなんじゃないかと今なら思える。
「愛してる」という一言を伝えるために、今まで一体どれだけの歌い手が歌い、どれだけの曲が生まれただろう。
「今を生きて」と伝えるために、今まで一体どれだけの書き手が筆を執り、どれだけの詩がエッセイが文章が生まれただろう。
一言に収まることの無い森羅万象、喜怒哀楽。それをなるべくそのまま、なるべく丁寧に伝えたくて歌う人、書く人。
そう思うと、なんだか可愛いくらいに真面目な、少年少女のように純真無垢な姿が思い浮かんで我ながら少し笑えてくるのは僕だけだろうか。あはは。
本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。言葉に酔って、格好良い言葉や耳障りのいい言葉ばかりを並べてしまうのでは無く、幼い程に分かりやすい言葉で彩られた、それでいて圧倒的に心が揺れる、心に触れる。そういうものを書く人に、少年少女に、憧れている。