書くことは描くことでもあり

終電の電車を待つ僕。始発の列車を待つ私。同じホームの同じ場所。違う空気が景色をつくる。

例えばこんな風に、毎日この世界の何処かで在るだろう出来事達を描くように書く。

言葉という絵具で、毎日の中に佇む美しさを描画する。執筆する。

いつか誰かが絵を見て何かを思うように、いつか誰かが、今まさにあなたが、この文章を見て何かを思ったり、思わなかったりする。

そう考えると、言葉が好きだというのはどうやら少しおかしな話なのかもしれないとか思う。文章にとっての言葉を考えるなら、それは絵にとっては絵具の事だと思えて、しかしどうにも、絵を描くのが好きだとか絵が好きだとかは聞いたことがあるが絵具が好きだという話はあまり聞いたことが無いものだから。

けれども確かにきっと、絵具が好きな人もいるだろうとも思うから、やはり言葉が好きだという人もいるのだろう。

さぁじゃあ僕はどうだと問われれば、絵具が好きとも描くことが好きだとも言い切れず、ただ実は絵画を眺めていたいだけの男なのかもしれない。

書くことは描くことでありながら、時として書くことはこうして考えることでもある。

終電を待つ人。始発を待つ人。そして文章を綴る人。同じホームの同じ場所。違う時間が作る景色を描いた僕。

本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。あぁこれだからやめられないんだ書くってことはさ。あはは。