日々とは、

過ぎ去った
なんて言葉を使った途端に
重さを失う日々とやら

そんな日々は
誰の手元にも胸の内にも無いのだと
真実めいた瞳の主
純真無垢なあの頃の私

車窓からぼんやりと
日々という名の景色を眺めて
私はあなたは優雅に気ままに
言葉の一つも知らぬまま
次の日々へと向かって走る列車の中

気付けば窓からの景色は代わり映えなく
やがて薄れてただ無地の
白か黒かの景色が続くようになり

列車を降りてそのキャンバスに
何故だろう色を重ね始めたいつかの私

日々とは
描いた分だけ
色を絵の具を使った分だけ
少なくともその分だけは
否が応でも重いもの

日々とは
過ぎ去ったのではなく
描き切ったのだと
思ってみてはどうだろう

そういう言葉で
捉えてみてはどうだろう

描いた日々が
誰かの目に触れ心に触れて
故に世界は今日も何処かで
少し薄赤い頬の色に染まっていたりもするのだろう

私があなたが描いた日々を
誰かが眺めてほんの少し
世界に優しい色が生まれ混じっていく

その美しさに
暫し思いを馳せる束の間

本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。新幹線の座席に座って、通り過ぎていく景色を眺める感覚とは、違うんだよなぁ日々というのは。映画館のシートに座って、映し出される映像に見惚れる感覚とは、違うんだよなぁ日々というのは。と思った次第でございます。