クリスマスツリーを眺めて

師走がなぜ忙しいのかはさておき、とても忙しい。気付いたらクリスマスイブ、そしてクリスマスである。

シアトルの郊外で車だったかバスだったかに乗り、ぼーっと景色を眺めていた時、大量のクリスマスツリーが連なる一体に出くわしたのを思い出す。所謂、クリスマスツリー畑であった。

クリスマスツリーって、そうかそうだよな、木なんだよなと、何を今更と思われるかもしれないがそこで初めて僕は樹木としてのクリスマスツリーを理解した。

よくよく思い返してみると、実家で子供の頃に僕が見ていたクリスマスツリーは本物の木ではなくて、プラスチックだったか何か固くツルッとした葉っぱで出来ていた。

そうはいっても僕にとってはあれもれっきとしたクリスマスツリーであり、シアトルの郊外に沢山植えられていた樹木のそれが指す意味と同じクリスマスツリーに変わりない。

例えば街なかで見かける大きな、それは大きなクリスマスツリーが本物の樹木かどうかも、僕はあまり考えたことがなかった。

それはおそらく無意識に、クリスマスツリーという意味というか形式的な概念を欲して眺めていたからかもしれない。

本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。僕等が見ているのは、日々見えているのは物ではなくて、実は意味や理由、そういう類の目には見えない、手では触れられないものだったり、するのかも。するのだろうな。