「思い出づくり」という言葉がどうもしっくり来ない人生を生きてきた。
思い出を作るために生きてるとするのなら、その時僕等は今この時を、まさに今この時のために費やしているのではなく、未来のいつか、今を振り返り懐かしむその時のために今この時を費やしているということになる。
それはなんだかなんとも悲しい響きに思えてしまって、故に「思い出づくり」という言葉がどうも好きになれずにここまで生きてきた。
ただ最近になってようやく、ようやく気が付いたのは、気付けば思い出深くなった過去の記憶たちというのは本当にかけがえのない、いつまでも僕の心を励まし、癒やしてくれるものだということ。
よい思い出を作りたくて生きてきたつもりは毛頭無いにも関わらず、振り返ればこうして美しい記憶たちに恵まれていることを思えば、思い出は作ろうとせずとも自ずと作られていくものであり、そもそも「思い出づくり」とは理屈の通っていない言葉だったのかもしれない。
全力で今を生きれば自ずと作られていく思い出たち。その思い出たちがまた僕の私の背中を押して、今この時を生き抜く勇気を優しさを与えてくれる。
その繰り返しの中に見出す幸せこそが人生の喜びである気もして、全力の今と素晴らしい思い出の両方があって初めて、僕等はこの限りある命から美しい幸福を生み出す場所に至るのかもしれない。
本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。やがて至る最後には、僕もあなたも、その先の世界を生きる誰かの思い出になっていく。その幸運に恵まれたなら、なるべく、優しく明るくその世界を照らす思い出になれたらいいなと、切に願う。