言葉の入れ物について

「小説とか書かないんですか?」とか「本出さないんですか?」とか、よく聞かれる。

まぁそりゃ、そうか、と思う。
何を紹介するわけでもなく、ただ自分の中から出てくる物事をこんだけ書いては書いてを繰り返している人というのはこの世に僕か作家という職業の人くらいかもしれんと思うもの。あぁあと糸井重里さんか。

いや、実は世界には毎日僕みたいに書いている人がきっとざっと数十万人くらいはいる気もする。僕のところまでそれが届いてないだけだったり、そもそも多くの人に届ける気がない人だったりするだけで。

話を戻すと、僕は最近、じつは書いてみたいと思っている。小説を。

本は、作りたいとは思うけれど、何故作りたいかと言われると、小説とは別の所に大きな理由があるようにも思う。

小説を書いて、本に入れるのか、はたまた今回みたいな場所に入れるのかも、ちょっと考えてみたいなと思っている。

小説は常々、本の中に入れるものだったり、あとはオンラインのウェブサイトか、電子書籍という容れ物ありきで書かれてきたように思える。

けれどそれを、たとえば東京駅だとか、たとえば何処かの展示会場だとか、街角だとか空港だとか駅だとか、電車だとか車窓だとか、そういう容れ物、メディアありきで書いてみたらどうなるのだろうと思う。

エッセイも詩も小説も歌詞だって、そりゃあ書きたい。書きまくりたい。そう純粋に思うけれど、書いたものを入れる場所についても、ちゃんと新しく、面白く、考えてみたいなと思うんです。

言葉を本の中に、紙の中にブログの中にnoteの中に閉じ込めるしかなかったのなら、この「今朝の落書き」というコーナーも、言葉と出会う展も、生まれなかったのだよなぁ。

言葉はもっともっと、面白くなれる。面白くできる。

言葉と出会う展を経験して、そんな希望が垣間見えてる、僕であります。

本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。あぁもっともっと、展示したいなぁ書きたいなぁ。