ヒト・モノ・コトで分けてしまっていいのだろうか、と思う。
ヒトはヒトによって支えられ、成り立つ社会を望んで作ってきたようにも思える。
ヒトとヒトとが互いに協力することの元を辿れば、そこには衣食住を共に拵え、育むためという光景が目に浮かぶ。
一人で畑を耕し狩りをするよりも、大勢でやればより安心して生きていけるようになる。
その安心の中でやがてヒトのために何かを行うヒトたちが生まれ、いつしかそれが当たり前になって経済が回り回っていった先の今ここにいる僕であなたでヒトと人。
ヒト・モノ・コトという分け方で物事を考えるから、ヒトかモノかコトしか見えなくなっていたりして。
その果ての今の地球、だったりして。
言語が思考をつくるなら、言葉の使い方で僕らは世界を変えてきてしまったのかもしれない。
本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。言葉の多様さが人を優しくしていくのだとしたら、詩は小説はエッセイは、希望じゃないか。