無音ですらも音楽と

レコードを流していると、なぜだろう、音楽が止むことによく気が付く。

音楽という無形のものが黒く丸い板が回ることで流れ出しているのだという論理を纏う、とでも言えばいいのか。

そこには再生/停止ボタンを押す行為とは全く異なる情緒条理が存在しているのだと思わずにはいられない。

一曲が流れ、その連なりとしての次の曲が流れ始め、その終着点としてレコードが回転を止める。

好きな曲とそうでもない曲が連なりの中での手を繋いで、総和としての音楽を僕に届ける。

一曲だけが切り取られることで知らず識らずのうちに社会から失われていった音楽の楽しさを思い出す。

曲から曲へ切り替わる無音ですらも、音楽家たちは奏でているのかもしれない。

本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。切り取るところを間違えれば、捉え方を雑にすれば、たちまち失われていくものがあるのだということを思い出す。