過去で溢れた世界の中で

「面白いことをしようよ」
「楽しいと思えることをやったらいいじゃん」

そりゃそうだ。
その通りだ。

一個人の幸せな人生について考えるとき、こういう言葉たちに間違いなんて無く、疑う余地も無い。楽しい嬉しい幸せな日々がなるべく多く、なるべく長く続く方がいいじゃんねって、僕も思う。

ただ最近、幸せな人生とは別の所で、何かを目指す人がいたり、何かを追求せずにはいられない人もいるのだということをつくづく思う。

その人たちは、しきりに自らの、そして他人の行動に、創作に、仕事に、企てに、問いかけているように見える。

「それは、未来だろうか?」

それは、未来だろうか。いつかの誰かも「面白そう」「楽しそう」と思ってつくった、過去ではないだろうか。

頻りにそう問いかけ、ここにまだ無いだけならまだしも、今までだって無かったことをつくろうとする。

そういえば未来って、そういうものだったよなぁと思うんです。

つくる苦しみ、生む辛さをどんなに伴っても、つくらずにはいられない。試さずにはいられない。挑まずにはいられない。

その試行錯誤の果てに生まれたものを、未来と呼びたい。

やっぱそうだよなぁって、思ったんですよね。

本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。実は今って、過去で溢れた世界の中に、ほんの少しの、小さく輝く未来が何処かできっと生まれている。そういう瞬間のことを言うんじゃないか。