面白さの正体と尊敬の怖さ

自分が手にしたものに自信を持つ、ということはとても大事なことなんじゃないかと今更思う。

その場の誰も知らないかもしれないことでも、気にすることなく本当に面白かったんだ、自分はとても感動したのだと語る人を垣間見てそう感じた。

「わかってるね〜」とか「さすが」とか、尊敬する誰かからのそういう言葉を気にするあまり、僕らは自分の尊敬する人たちの知ってる事しか、手の届く範囲のことしか知ろうとしなくなってやしないだろうか。語ろうとしなくなってやしないだろうか。

「あれ読みましたよ」とか「やっぱりあそこが面白かったです」とか、そういう共通認識で人と人とは確かに仲良くなるけれど、期待されたり愉快だなと思われたりするには、やはり自分で未開の地へと赴かなければならないし、そこで目にしたもの手にしたものについて自ら思考し、学ぶことで、僕らは真に人としての「面白さ」を纏っていくんじゃなかろうか。

あぁそうか、あの人への尊敬も、僕が知らない面白そうなことをとても楽しそうに語る姿を日々見ているからこそ芽生える感情なのかもしれない。今更ながらそう思った。

本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。人の面白さの正体と、尊敬という気持ちに隠れた恐ろしさについて。