宛名の無い手紙としての本

「本とは宛名の無い手紙のようだ」
そう誰かから聞いた気がしていたが、これはもしや自分の言葉だったかもしれないと思い直す。

いずれにせよ確かに、本とは宛名の無い手紙のようだと思う。

特定の誰かに向けて書かれていない、けれど間違いなく誰か読む人へ宛てて書かれた文字たち言葉たち。

きっと今も海を漂う誰かのメッセージボトルのように、やがてまだ見ぬ誰かの元へ届いて、読まれる書籍。

そうして読んだ誰かが「これは私のために書かれたものだ」と思ったり「私に宛てて書かれたのだ」と思い、時に物語は展開していく。

そこから自分の人生を変えていく人も居れば、手紙の返事を認め送る人も居て、書き手を探す旅に出る人も居る。

そういう意味では、宛名の無い手紙とは誰しもに開かれた手紙であり、意味も解釈も受け手に委ねられている手紙とも思える。

全ては受け手次第、読み手次第の言葉たち。
そしてそんな手紙を選り好み、招き入れ、置く場所としての書店。
そう考え始めると、やっぱり本屋は本当に面白いなぁと思う。

宛名の無い手紙としての、本。
自由丁では書籍をそんな風に捉えて、これからも招き入れ、共に過ごし、歩んでいけたらいいなと改めて。

本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。自由丁に訪れる人へ宛てて、住まう誰かへ宛てて綴られた書籍たちをと考えて、選んで、仕入れる。その繰り返しの楽しさたるや。