僕が毎日触れるもの。
パソコン、スマホ、皮の鞄、布団、歯ブラシ、洗顔料、財布にイヤフォン。
部屋の机やテーブルに、椅子にドアノブ、ハンガーも。
毎日目にするものといえば、壁に飾ってある絵やポスター、そこに印刷された言葉たち。電車の窓から見える景色もそうだし、スマホに映る今日のニュースや天気にしたってそうだ。
毎日の中にしれっと居るものたちの大抵が、誰かが作ったり、手入れしたりしているものなわけで、その人たちのおかげで僕の毎日が、同様にあなたの毎日が、毎日足り得ている。という当たり前であり当たり前なんかじゃない真実。
歯ブラシが三日で使い物にならなくなるようなことは無いし、今日の天気を画面の中の誰一人として教えてくれないなんてことも、当然のように無いと思える。
最近聴いてる音楽を作った誰かも、また数ヶ月後には新しい曲を作ってくれているだろうし、むしろそうであって欲しいからこそ、引退だとか解散だとかがとても悲しかったりするわけで。
日常というものを成り立たせてくれている人たちだって、世界を変えた偉人と言われる人々と同じように偉大であり、偉人だろうと、故に思う。
そういう意味では、誰かにとっての日常に、僕の毎日のこの言葉たちもなっているのだと思えた時、ようやく僕は僕の言葉たちをほんのちょっと誇らしげに思えるのかもしれない。
何はともあれ今日という日も、健やかな日常を成り立たせてくれる偉人たちに、感謝です。
本日も落書きを読んでくださりありがとうございます。変わっていく世界の話ばっかしてるのも楽しそうでいいけれど、それじゃあいつまで経っても今日という日常を、今という人生を味わえやしないだろうから。