独り言の価値

どうしようもなく独りになりたい時が時たまあって、「独りになりたい」なんて贅沢な悩みを抱えられて幸せだとか、そんなことを考える余裕も思う余白もない心で、あてもなくとりあえず家を出る。

街を世界を徘徊して辿り着いたテーブルと椅子、注文したコーヒーを前に、何もしたくない僕の頭の中では独り言がとめどなく生まれ続ける。

降り出す雨粒のように落ちてはどこかへ行ってしまう言葉たちから、この掌に運良く落ちてきたものたちを、何もしたくないはずなのに気づけば無我夢中で書いている。

もうこれは何個目の独り言だろう。

それとも今までのすべての言葉も、受け取ってくれる相手が運良く居ただけで、本当は元々そもそも独り言だったのかもしれない。

会って話してようやく会話と呼べるなら、会わずして話さずして書くこの言葉たちはやっぱり独り言だろうか。

ならばそれなら、独り言にだって価値があると思えたなら、思えるようになれたならば、その時ようやくきっと、大丈夫になるのだろう。

本日も落書きを読んでくださりありがとうございます。知らず識らずのうちに自分の中に積もり積もった日々の機微。心の余白を埋めたそのすべて、言葉にしてしまえたなら。