星をめがけて音と共に人はゆく

スターになったミュージシャンが作った歌を聴いて、「私の歌だ」と思う。けれどそのミュージシャンの生活は、「私」とはどうしたってかけ離れていて、同じ地球だというだけで、全く違う世界に生きているんじゃないかと思うのだ。実際そうなんだろう。

するとその「私の歌」に綴られた言葉たちも、そのミュージシャンにとっての想像、幻想、妄想、イメージでしかないわけで、本当は誰の生活にも裏付けされていない、誰の歌でもないんじゃないかと、ちょっと元気のない、低気圧に押しつぶされそうな日の僕には思えてきたりもする。

ただ、だからこそ歌は、私の背中を押してくれるんじゃないかとも思う。寄り添ってくれるんじゃないかとも思う。慰めてくれるんじゃないかとも、思う。

本当は、私のことなんてこれっぽっちも知らない人が想像して、考えて、イメージして作った、誰のことでもない歌だからこそ、「今の私の歌」じゃないからこその、少し先の、理想の、期待の、私のことを歌えているのかもしれない。綴れているのかもしれない。だから自然と目線を未来の方へ、向かせてくれるのかもしれない。

つまるところ全ての歌は、「理想の私」についての歌、なのかもしれない。

本日も落書きを読んでくださりありがとうございます。もう有名なアーティストの、古いわけでもない、他の人の口からその名を聞いたことのない、けれど大好きな歌があって、今朝久しぶりに聴いて歩いていたんです。そしたら、「思い出は光るけど、それだけじゃ僕らの未来は照らせやしない」と歌ってて、本当にそうだよなぁと思ったんです。