言葉を言葉として

そよぐ風、届く声、永遠に見つめていたいと願う瞳。裏腹に、私を見てと叫ぶ音が僕の両目を時折塞ぐ。

理解して欲しくて伝える言葉と、ただ受け取ってくれる人へと届ける言葉。同じ言葉の果てしない違いに今日も目眩が訪れる。

平日の私と土日の私。
月曜日の私と金曜日の私。
朝の私と夜の私。

どの私なら、あなたはすんなり受け入れてくれるのか。どのあなたにせよ、好きだと言える僕はいるのか。

ただやはり、永遠に眺めていたい瞳は変わらずにあり、美しさについての定義もさして変わりはしないなら、私にせよあなたにせよ僕にせよ、目に見えるすべてを以て、自分としてしまえるのなら、それが一番楽だろう。

言葉だってそうだ。言葉を言葉のまま受け取らせて下さい。そしたらもっと軽々と、生きていける気がする。言葉の重さというやつが今日もまだ、わからない。わかりたくないのかもしれない。

本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。景色に重さが無いように、言葉だってそうだろう。